貸金回収の現場から

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1.はじめに・20年位前の話
ちょっと今回は趣向の変えた話をしたいと思います。
何の世界でも流行り廃りがありますが、
貸金業の世界にも、それはあるように思えます。
どちらかと言うと、今は廃っているのかもしれません。
西暦にすると2000年前後の話、今から20年位前の話です。

2.消費者金融全盛の時代
2000年頃まで消費者金融は大きく脚光を浴びていた時代でした。
大手の会社は皆、テレビのゴールデンタイムにCMを出していましたし、
町を歩けば消費者金融のティッシュが何個ももらえました。
やはりお金を借りるのは後ろめたさが伴うので、
無人契約機なるものが次々と作られて
気軽にキャッシングができるようになったのです。
「サラ金」というイメージを払拭したように思えました。
他方で、借金を返せなくなり自己破産等の債務整理手続きに入る人が続出、
原因は他にもあるのでしょうが自殺する人も
今以上に多かったと記憶しております。

3-1.貸し渋り・貸し剥がしの受け皿
何で消費者金融等の高金利の業者が、
そこまで活発だったのかは当時の社会状況と密接に関連しています。
もちろん、各会社の営業努力で貸付残高を増やせたのも一因にあります。
CMや無人契約機のおかげで、
消費者金融等につきまとう後ろめたさが払拭できたのは否定できません。
そしてもう一つの大きな原因は、
銀行の貸し渋りが大きかったのではないかと思います。
当時、銀行はバブル期からの不良債権の処理等で苦しい立場にありました。
それができずに倒産した大手銀行もあったのです。
そして、自己資本比率の規制により、
事業者に対する貸し渋りや貸し剥がしに舵を切るようになったのです。
銀行が貸してくれなくなったので、
中小企業の社長が自殺したというニュースを僕は未だに覚えています。
では、当時銀行から貸してくれなかった事業者はどうしたのでしょうか?
もちろん、銀行に担保を上積みして取引を続けた所もありますが、
貸してくれなくなった業者はノンバンク、
言い換えれば商工ローンの業者や消費者金融に助けを求めるようになりました。

3-2.当時の利息
当時の出資法の上限は40,004%、
利息制限法は100万以上で15%と利息は法律で定められていました。
その間はいわゆる白でも黒でもない、グレーゾーンと呼ばれ

多くの業者はその狭間で利息を取り、収益を上げていたのです。
消費者金融は無担保無保証、
事業者金融は保証人をつけて融資を実行することが大半でした。
リスクの高い取引だから金利が上がるのは当然という風潮が、
その当時にはありました。

3-3.期日に遅れた場合
とはいうものの、銀行からの融資に比べて
払う利息が格段に上がるのは否めません。
では、もしこのような所から借りて遅れてしまった場合は
どうなったのでしょうか?
これは即電話がかかってきました。
当時は携帯電話が普及したてのころで、未だ持ってない人も多く、
自宅や勤務先、果ては実家まで電話がかかってくることもありました。
一昔前では隣の家まで電話がかかってきたり、
近所の人が督促されたこともあったようです。
ガイドラインでは21時から朝の8時まで
電話などしてはいけないとあったようですが、
有名無実化していたのかもしれません。
これだけでも十分きつかったのですが、これよりも更に過酷な所がヤミ金でした。
090金融、システム金融、
これらはコンプライアンスを最初から無視した所であり、
一度利用したら抜け出るのは、ほぼ不可能に近い状態でした。

3-4.債権管理者の目線から
債権回収の現場にいると、
年月を経ると同時に利用者(延滞者)の状況が
逼迫していくのがわかると聞いたことがあります。
今はこの状態で回っていても、だんだん支払が厳しくなり、
雪だるま式に借入を増やしていくのでしょう。
そして債権管理の担当者が顧客の名前を覚えるようになると、
半年から1年の間で、その方は「飛ぶ」ことが多いと聞きます。
「飛ぶ」とは夜逃げするか法的整理に入ることです。

4.それは将来もプラスになることですか?
どこまでがセーフで、どこからがアウトか、それを一律に決める基準はありません。
絶対不動のものではなく、
色んな事情が重なったケースバイケースのものだからです。
仕事をしているとお客さんとの長い付き合いを求めるのは世の常ですが、
残念ながら金利の高い所を利用する人は
一定の月日が経つと消えてしまうことが多いそうです。
これを利用すれば今は持ちこたえられても、
長い目でみてプラスになるのでしょうか?
もし答えが見いだせず、
むしろ傷口を広げるだけなのであれば整理をするときが近づいている、
決断を求められる日が近づいていると思って下さい。